いつも読んで頂き有難うございます。
昨日は、バンコク・チャイナタウン(ヤワラー通り)言われる付近
糸を買いに行って来ました。
雑然とした、路地の中。
ひしめき合うとは、この事ですね。び〜っしりの物と人。
この中をバイクが通ったり、大きな荷物を肩に乗せた人など
間違えて、入り込んだ細い道
共同キッチンがのようなものがあり、
その奥には住居らしきものがありました。
バケツでに溜めてある水で食器を洗っている。
流れる水で流すというより
溜めてあるその水を何度も使っているような
白濁した水の色・・・
これが普通なんだろうな。
これに抵抗がある私達、がよそ者なんだな。
きっとこれがこの人たちの日常。
そこまで危険なスラムのような雰囲気はない事と、
物価が安いことが、良いところかな。
まだまだ知らないことばかりだけど、
タイのいろんな場所に行き、体感したものを
どう考えるか。タイを知るってまだまだこれから。
中華街とタイの歴史について調べてみました。
いかにもな景色。 |
雑貨や、布・リボン・レースなど クラフト系のものがたくさん。 |
店内にて、タッセル・金具など |
チャイナタウンの簡単な歴史
チャイナタウンの歴史はアユタヤ時代に溯ります。
ビルマ軍によって、徹底的に破壊されたアユタヤ町の再起を諦めた当時の王タークシンは、アユタヤに次いで第2の都市であったバンコクを再建の地として選びました。
新たな王都(トンブリ王朝)は、チャオプラヤー川(下地図ではメナム川と表記)の西側、ちょうどワットアルンの付近に作られたと言われています。
しかし、精神に異常をきたしてしまい、過度な奇行により国民の信頼を失ってしまったタークシンは、やがて王位の座を奪われ処刑されることになります。
その後、新たに王の座についたのが、現チャクリ王朝の初代ラーマ1世です。
その後、新たに王の座についたのが、現チャクリ王朝の初代ラーマ1世です。
ラーマ1世は、新たな王都をチャオプラヤー川の東側に再建しました(現在のワットプラケオ周辺)。
必然的にその地に住んでいた人達は、別の場所への移住を余儀なくされました。
それが、タークシン王と共にアユタヤからバンコクに移り住んだ華人達でした。
華人達が新たな移住地にて街を形成したことにより、現在のチャイナタウンが生まれたのです。
(https://runbkk.net/bangkok-china-town/より引用)
こんな歴史がありました。
興味あることなら調べていける。
歴史があって今がある。
少しずつタイのこと、知っていこう。
以上!
前向きマインドいっちゃんのLINE@
@dzm9909lからもID検索して頂けます。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿