2018年7月15日日曜日

バンコク・チャイナタウンへ

おはようございます。
いつも読んで頂き有難うございます。




昨日は、バンコク・チャイナタウン(ヤワラー通り)言われる付近
糸を買いに行って来ました。




雑然とした、路地の中。
ひしめき合うとは、この事ですね。び〜っしりの物と人。
この中をバイクが通ったり、大きな荷物を肩に乗せた人など




間違えて、入り込んだ細い道
共同キッチンがのようなものがあり、
その奥には住居らしきものがありました。
バケツでに溜めてある水で食器を洗っている。
流れる水で流すというより
溜めてあるその水を何度も使っているような
白濁した水の色・・・




これが普通なんだろうな。
これに抵抗がある私達、がよそ者なんだな。
きっとこれがこの人たちの日常。
そこまで危険なスラムのような雰囲気はない事と、
物価が安いことが、良いところかな。




まだまだ知らないことばかりだけど、
タイのいろんな場所に行き、体感したものを
どう考えるか。タイを知るってまだまだこれから。
中華街とタイの歴史について調べてみました。


いかにもな景色。

雑貨や、布・リボン・レースなど
クラフト系のものがたくさん。

店内にて、タッセル・金具など


チャイナタウンの簡単な歴史

チャイナタウンの歴史はアユタヤ時代に溯ります。
ビルマ軍によって、徹底的に破壊されたアユタヤ町の再起を諦めた当時の王タークシンは、アユタヤに次いで第2の都市であったバンコクを再建の地として選びました。
新たな王都(トンブリ王朝)は、チャオプラヤー川(下地図ではメナム川と表記)の西側、ちょうどワットアルンの付近に作られたと言われています。
しかし、精神に異常をきたしてしまい、過度な奇行により国民の信頼を失ってしまったタークシンは、やがて王位の座を奪われ処刑されることになります。
その後、新たに王の座についたのが、現チャクリ王朝の初代ラーマ1世です。
ラーマ1世は、新たな王都をチャオプラヤー川の東側に再建しました(現在のワットプラケオ周辺)。
必然的にその地に住んでいた人達は、別の場所への移住を余儀なくされました。
それが、タークシン王と共にアユタヤからバンコクに移り住んだ華人達でした。
華人達が新たな移住地にて街を形成したことにより、現在のチャイナタウンが生まれたのです。
(https://runbkk.net/bangkok-china-town/より引用)

この周辺に寺院が多くあるな。とは感じてましたが
こんな歴史がありました。
興味あることなら調べていける。
歴史があって今がある。
少しずつタイのこと、知っていこう。
以上!





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